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「Sleeping Child」より抜粋

「お待たせしすぎてスミマセン…!」
グランドに面した窓からガラスを透かして差し込む淡い光が静かに教室をオレンジ色に染めている。
元気よく響きたわった声に、声をかけられた人物は『全くいつまで待たせる気だ』もしくは『遅いぞ』と軽くたしなめる言葉を口にしつつもその表情は柔らかく微笑んで自分を出迎えてくれる――はず、だった。
どうしても抜けられなかったクラスの用事をやっと済ませて慌てて三年生の教室に駆け込んで戻って来てみれば、ずっと教室の片隅で自分が戻るのを待ってくれていたのであろうクリスは、その声が聞こえてないかのように窓の外のグランドを見つめ続けるばかり。すっかり傾いてしまった夕陽に染まる誰もいなくなった教室の片隅の、窓際の席でひとりぽつんと頬杖をついて座っている。
こちらには背を向けたままで。
「沢村栄純、ただいま帰還いたしやした…!」
お道化て、ぴっと額に真っ直ぐに伸ばした指先をあてて見せるが、それでもクリスはこちらを見ない。
顔をこちらに向けることなく背中で無言を貫くクリスの態度にどこか不穏に漂う空気を感じてその場にカチリと固まって、次の瞬間思い当った結論にさあっと血の気が引いた。
なんだかこんな冷たい感じ、すごく前に身に覚えがあるような、いやいやあの頃はまだボソボソと小さくて聞こえない声だったけれど、ちゃんと目は合わせてくれてはいたし優しくはなかったけれど何かしら言葉は喋ってくれてたし。
混乱気味な頭をぶるぶると振って、何か喋らなければと口を開く。
「えーと」
それでも、背中はピクリとも動かない。ヤバい。そう思ったら、すうっと背筋に冷汗が流れた。
これほどまでの完全なる無言とシカトなど未だかつて経験したことがない。
想定外すぎる事態に内心どうしたらよいのかと動揺しつつ、しかしそのまま立ち尽くしているわけにもいかないので、ギクシャクと手足をぎこちなく動かしながら背を向けたままのクリスに近づく。
「…」
なんと、声をかけたらいいのだろう。肩幅の広いクリスの背は大きくて頼もしくてこの背中についていけば大丈夫っていつ見ても安心できる背中なのに、こんなときは凄く威圧的に拒絶的に感じてしまう。
やはり、怒っているのか。このツーンとシカトするような態度は要するに怒っているという意思表示なのか。
人気のなくなった寂しい教室に一人ぽつんと待たせすぎてしまったことがそれほどまでにクリスを怒らせてしまったというのか。
こう見えて案外クリス先輩は寂しがり屋さんなんだよなぁとつい暢気に心の中で呟きながら、いやいや、それはそれとして例え別の理由だとしても恐らく原因は百に近い割合で自分にあるのだろう。
例えば、机に広げたままにしていた数学の教科書をパラパラめくったときに人物画の落書きを見てしまった、とか。
それとも参考書の問題文の名詞を好き勝手に書き換えて遊んでいたのを読まれてしまった、とか。
ごくりと唾を呑みこんで、ここはいっそもうどんな理由であれ素直に謝って謝り倒して機嫌が直るまで謝るしかないのだと腹をくくって、そうして、机に右肘をつき頬杖をついた姿勢で窓の方を向いたまま言葉もなく振り返ってもくれないクリスの真横まで、そおっと、そおっと、近づいた。
「あの…クリス先輩…」


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