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Sample


「-ion」より抜粋

「あのな、財前」
諌めるような声音に、ニイっと唇を引いて笑い返す。
「ま、最後の球だけは褒めてやるよ」
スリーアウトカウントを取りにきた、最後の一球。
それまでの腕を胸の前で折りたたみグラブを止めて投げるフォームとは違う、グラブを頭の位置まで高くあげたワインドアップからの大きな投球フォーム。
振りかぶる腕の力そのものを乗せて空を裂くように放たれた直球は、それまで打ち損じていたどの球よりも『生きて』いた。
その一瞬の鮮やかさに息をのむほどに。
ぱあんとすぐ耳元で甲高く鳴ったミットの音を、土の上に両手膝をついて聴く。
ヘルメットが脱げて転げ落ちていた。一瞬息を止め、目線の先に広がる何度も踏みしめられ荒れ乾いた土の光景に、そのときようやく自分が三振したのだと知った。
全身全力で、バットを振り抜いた。あんなに気持ち良く三振したのは久しぶりだった。
「ああ」
クリスが小さく息を吐きながら柔らかく表情を緩める。その目線が、左手に落ちた。
ミット越しに受け止めた球の感触を思い出したふうだった。左手を、キャッチャーミットをはめる手を一度握って、開く。
その掌に残る余韻を、その球の残像を確かめるように。そのクリスの横顔にこの場にはいないあのふざけた一年のムカつく笑顔と騒がしさが思い出されて、また舌打ちしたくなる。
あの小僧の投げた最後の一球。
クリスに届けと叫ばんばかりに放られた球は間違いなくクリスの手の中に力強く飛び込んだ。弾ける音と共に、その心さえも。
俺だってシニアでお前とバッテリー組んでたときはあれに負けないくらいの気持ちでお前に投げてたんだぜ?今更そんなことを未練たらしく目の前の男に口にするつもりは、ない。その代わり。
「次、あの小僧に投げさせるときは覚悟しとくんだな。この俺を三振させたこと心の底から後悔させてやるぜ」
挑発的な態度にクリスの目が瞬いた。そしてすぐにお返しとばかりに挑発的な態度で切り返す。
「打てるものならな」
「ふん。お前もだクリス。次のときはあの小僧と一緒にお前も泣かせてやるからな。覚悟しとけ」
その言葉に、薄くクリスが笑う。
一呼吸おいてクリスの目が足元に落ちた。
「それより、俺はお前の膝の方が心配だよ」
気づかわしげに視線を左膝に向けられて、大仰に肩を竦めてみせた。
その態度がはぐらかしげに見えたのか、じっと真剣な眼差しをクリスが向けてくる。
「お前の行き先、このバスに乗ってるのなら…病院だろう?」
言葉にはせず、唇の端を吊り上げて応える。
ああ。その通りだよクリス。
そうか、俺がお前の右腕が震えていたことが見えていたように、お前もそのマスク越しに俺の左膝が見えていたのか。
あの打席で途中から左足が自分でもわかるくらいガクガク震えていたのはわかっていた。
左足はバットを振る際に踏み出す方の足だ。
土をスパイクで噛み、身体の軸を支える足が何球も放られる球にスイングしている内にその脆さを露呈した。ああそうだクリス。お前の肩と一緒だよ。
だから、今度は俺がお前に笑い返す。


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