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「It's spread, the star which shines」より抜粋

*** Objective
「ねえ、栄純君。栄純君はクリス先輩の何をそんなに怒っているの?」
ぐっと栄純が言葉に詰まった。
唇を噛みしめて、その握りしめた拳が震える。
君のその怒りは、まるで。
「ホント、わっけわかんねえ」
言葉を吐き捨て、つい、と栄純が顔を背ける。
クリスの厳しい言葉の殆どは、栄純にとっては栄純にとっての野球に対する真摯な気持ちを否定する言葉だらけなのだろう。
でも。
否定、というよりも、あの人はただ、『本当のこと』を口にしているだけじゃないのか。
そう、春市は思うのだ。
聴こえてくるクリスと栄純の会話を端々に耳にしながら、どうしてこの人は栄純君にこんなふうに接するんだろうって考えていた。
(あの人が君にしていることは)
優しい嘘や無責任な励ましを簡単に口にして相手に温湯のような安心感を与えるのはとても簡単だけど、君が野球に対してひたすら一途で純粋だから、君のその真っ直ぐな気持ちにあの人なりに応えようとしているんじゃないの、かな。
本気の気持ちには、本気で返す。
遠慮なくぶつかってくる気持ちには遠慮なくぶつかり返す。
(でもきっと、栄純君が欲しい言葉を僕は知ってる)
君は多分、クリス先輩に褒めてほしいんだ。
一言「頑張ってるな」って、言ってほしい。あの人に認めてほしいんだ。
あの人に、そう、笑って、欲しいんだ。
(僕が小さい頃、兄さんにそう言ってほしかったように)
そして多分、クリス先輩も君のそういういわゆる甘えや構ってほしいっていう部分をきっとわかってるから。
だから敢えて君に辛辣ともとれる言葉を、傍目では突き放したような態度を、とっているんじゃないのかな。
その姿勢や態度は、甘えとか優しさとか一切の妥協を許さないクリスの、野球に対する情熱そのもの。
そして栄純君、君はその純粋さゆえに、だからこそどこか無関心を装うクリス先輩の態度に歯痒い思いを感じ取っているのかもしれない。
だからね、栄純君。
僕にはあの人がどんなに暗く沈んだ目をしてたとしても、どうしても『死んでる』ようには思えないんだ。
何もかもを諦めて心を死なせてしまった人は、きっと、あんな言葉を君にかけたりはしない。
そのことを、君もきっと、気づいている。



*** line
顔を上げ、視界いっぱいに広がるグランドを見た。
薄闇に包まれ静かに佇むばかりのそこは、陽の光の下では躍動する煌めきに満ち満ちて。目を閉じ深く息を吸い込めばその輝きも熱気も息づく音さえもまざまざと心に甦る。
ここで。
このグランドで、ボールを手に出来なくなってからもうすぐ一年が経とうとしている。
ずくり、と。
今痛んだのは右肩か。
それとも、心か。
手の中に握りしめられたボールは冷たく硬いまま、投げ返す相手を失ったまま、今もこの手の中にある。
『アンタだって俺と同じ二軍じゃねーか…』
苛立ちを露わにして沢村が食ってかかってきたのは、ついこの前か。
マウンドに立つ降谷のピッチング、その一球一球に球場中が沸いた春の県大会のスタンドで沢村と話をした。
いつもは不満だけを正直に顔に浮かべて素直に言うことを聞いていた沢村が、あのときばかりは感情も露わにぶつかってきたな、と思い返す。
それほどまでに、投げかけた言葉が悔しかったのだろう。
厳しく辛辣であっただろうか。
けれどな沢村。それが、今のお前なんだ。
そして俺は、お前と組んだから、お前がいるから二軍にいるのであって、本当は。
……本当なら。
唇の端が上がる。明らかな自嘲だった。
『アイツの成長を助けてやれるほど俺は大人じゃないんでな』
振り返れば、冷静さを、欠いていたようにも思う。
同じ捕手である、いや人一倍人の心の動きを敏感に察する御幸の前で、少し失態を冒してしまったような気さえする。
胸の奥底に潜め閉じ込めた感情を、入部して一か月ほどしか経ってない一年生投手を評する会話の中で疼かせてしまった。
その疼きを、気づかれてしまったような気がする。
話も気持ちもはぐらかす為の軽口さえでてこなかった。
御幸、俺はポカリスエットは飲むがアクエリアスは苦手なんだ。キャッチャーとしてその観察力不足は致命的だな…そんなふうにお前をからかって話題を反らすこともできたのに。
『俺たち捕手』と御幸は言った。
御幸、捕手とはなんだろうな。



*** はるにひかるほし
「クリス先輩は何か、願い事とかありますか?」
「俺の願い事は…」
言いかけて、言葉が途切れる。その続きを面と向かって口にするのはどうにも面映ゆいような気がした。
今一番に願うことと言えば、ひとつしかない。
寝転んで星を見上げている栄純の横顔を見つめながら、そう、気づく。そしてその願いが栄純と同じなら良いのだがと思えば、更に口にすることが気恥ずかしく感じる。
だから途切れた先の言葉を口にはせず、栄純が見つめる先を、クリスもまた、見つめる。
栄純が見つめる先。目を細めて探るその視界に映る空には無数の星が広がる空。
その目に映るのは、小さく輝くひとつの光か、それとも目に見える全ての星か。真っ直ぐに見つめるその目に、何を見、何を思い、何を願うのだろう。
空を見上げ栄純が見つめる星を探しながら、叶うことなら同じものを見られればと願ってしまう。
目に映るものだけではなく、感じる心まで同じであればと。
いつの間にか、気がつけは栄純が見ている先を目で追っている。そのことを気づかされたのは、いつだろう。
「俺の願いは………。星に叶えてもらうものじゃないからな」
口の端に笑みを浮かべてはぐらかすと、
「ふお!?」
急に妙な声を栄純が上げるものだから、クリスの両肩もビクリと上がる。
「そんなに驚くなよ」
「ふおぉぉぉぉ」
何に感動しているのやら。驚きつづける栄純に微苦笑を浮かべてクリスは栄純の顔を見下した。
「星じゃないんだ」
「…?」
見つめる栄純の大きな目が瞬いた。
「星というより」
栄純の目を見つめ返しながら、クリスは思う。
それはまるで、
(太陽のような)
心地良く包み込む温かな、光。
心を満たしていくその温かさに、いつも手を引かれているような気がする。
何事にも臆せず真正直に向き合う素直さ、その曇らない明るさに、どれほどこの心が掬い上げられただろう。
(お前が居てくれたから)
また、ここに、戻れた。
また、明るい場所に、戻ってこられた。
(お前が俺の手を引いてくれたんだ)




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